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次回選挙は不出馬

松崎町の深沢進町長(76)は8日、任期満了に伴う次期町長選(12月1日告示、6日投開票)に出馬しない考えを明らかにした。9月定例議会の一般質問で「次期(の任期満了時)は80歳にもなる。今が引き時と思う。現任期の職務を全うしたい」と述べた。その後の取材に「不出馬は年齢が理由で、合併の破綻(はたん)は関係ない」と語った。

 深沢町長は同町と下田市、南伊豆・河津町による4市町の合併を進めようとしたが、これに反対する町議会と対立。民意を問うとして2期目途中の今年3月に辞職し、出直し市長選に打って出た。しかし、合併反対派が対立候補を擁立しなかったため、無投票での当選となった。

 松崎町議会は6月、合併の賛否に関する最終判断となる廃置分合議案を否決。南伊豆町議会も同様に否決した。下田市と河津町の両議会は可決したが、4市町の足並みがそろわず合併が破綻したため、深沢町長の去就が焦点になっていた。

海外と組み実験

二酸化炭素(CO2)の地中貯留(CCS)の実用化に向け、日本の官民が海外諸国と協力する。カナダとオイルサンドにCO2を封入する技術の共同開発に着手。オーストラリアでは200億円規模の実証実験施設を共同で建設する。CCSは温暖化ガス排出の大幅削減に向けて期待される手法で、関連技術に強みを持つ日本企業も多く、事業機会の拡大などにつなげたい考えだ。

 カナダと共同で取り組むのは、重質油が多く埋蔵するオイルサンドにCO2を埋める技術の確立。石炭火力による電力を使ってオイルサンドから原油を取り出す際に発生するCO2を回収し、それをオイルサンドに貯留する。この手法ではCO2の作用でオイルサンドから原油を採取しやすくなる利点もあるという。

中国の8月新車販売

中国汽車工業協会が8日発表した8月の新車販売台数は、前年同月比81・7%増の113万8500台となり、6か月連続で100万台を上回った。小型車を対象とした減税や農村部での購入補助金などが引き続き効果を発揮した。

 ただ、8月の米新車販売台数が1%増の126万1977台に回復したため、月別では今年に入ってから初めて中国が米国を下回った。

車両回路ショート

JR京葉線が7時間にわたり不通になったトラブルで、新木場駅(東京都江東区)近くで停止した電車内の回路がショートし、過大な電流が変電所に流れていたことが31日、JR東日本の調べでわかった。変電所のブレーカーも機能せず、火災を引き起こしていたという。

 国土交通省関東運輸局は同日、JR東に警告書を出し、原因究明と再発防止を指示した。

 JR東によると、火災を起こした越中島変電所(同区)のブレーカーの一部が焦げていた。新木場駅近くで停止した電車(10両編成)を調べたところ、車両の床下にあり、架線からの電流をモーターに送る高圧回路にショートした跡が見つかったという。

 電車は通常、架線から取り込んだ電流でモーターを回し、残った電流はレールを介して変電所に戻る。しかし、今回は電流がモーターに流れず、そのまま線路に流れたため、過大な状態で変電所に戻ったとみている。過大な電流をカットするための変電所のブレーカーも機能せず、火災につながったという。

 JR東は火災による停電が起きた後、別の二つの変電所から送電して復旧を試みたが、問題の電車が線路上にあったため、過大な電流がこの変電所にも送られて送電が止まる事態が繰り返された。このため、全面復旧まで7時間もかかったとみられる。

初のゼロ金利「不安」

日銀は31日、1999年1〜6月に開いた金融政策決定会合の議事録を公表した。同年2月の決定会合では、速水優総裁(肩書は当時)が、世界的にも例のないゼロ金利政策に踏み切るのに際し「経験がなく、(市場金利が)どこまで下がった場合に何が起きるかということに若干不安がある」と述べるなど、金融不安に揺れる中での苦肉の策だったことをうかがわせた。

 今回公表された99年前半の日本経済は、大手銀行の不良債権が深刻化し、市場では円高や長期金利の上昇が顕著になるなど、金融不安が強まっていた。

 速水総裁は事実上のゼロ金利導入を決めた同年2月12日の決定会合で「短期金利を下げることで、長期金利にもおのずから間接的な影響が起きると期待している」と発言。極度に金融緩和を行うことで、長期金利を低下させ、景気回復につなげたいとの思惑を示している。

 ただ、短期市場の金利をゼロに近づけるという異例の手法には他の政策委員から懸念や戸惑いも続出。「童話の世界、アリスの国のワンダーランドに足を踏み込むことになる」(後藤康夫審議委員)、「未知の領域」(藤原作弥副総裁)と、ゼロ金利政策が実験的な性格を背負っていたことも浮き彫りになった。

 日銀は2000年8月にゼロ金利を解除するが、景気は再び後退。01年には99年2月の決定会合で中原伸之審議委員が主張していた「量的緩和政策」を導入し、一層の金融緩和を実施することになる。